金魚鉢

舞台演劇の話。

THE 黒帯×聖地ポーカーズTRAD「TRUCE」

 

 ※本記事は2017年12月に終演した舞台「TRUCE」の作品紹介&レビュー記事です。文章の中にネタバレを含みますのであらかじめご了承ください。

 

 

「写真がなにを意味するかわかるか?彼らはカメラを見つめ切望する。

"我々を覚えていてほしい”。」―――――――映画「アララトの聖母」より

 

 

 

 

 

 

 

聖地ポーカーズTRAD × THE黒帯「TRUCE」

劇場
新宿シアターブラッツ
東京都新宿区新宿1-34-16 清水ビルB1

公演日程
2017年12月13日(水)〜17日(日)

出演

 

RED TEAM

カメラマン 役 桜田 航成

少佐・曹長 役 橋本 達也
狙撃兵   役 岡村 まきすけ
通信兵   役 榎原 伊知良
隊長    役 早川 剛史
兵士    役 大中 小

BLUE TEAM

カメラマン 役 渡部 将之

少佐・曹長 役 程嶋 しづマ
狙撃兵   役 清水 宗史
通信兵   役 野村 龍一
隊長    役 早川 剛史
兵士    役 深澤 恒太

 

公演公式サイより引用)

 

 

 

【イントロダクション】

旗揚げにしてすでに名作!【THE 黒帯】が贈る、喜怒哀楽ジェットコースター戦場ドラマ。

——切り取られた現実、とり残された真実。

歴史的スクープを求め、念願の最前線にやってきた戦場カメラマン。
そこで繰り返される、兵士達の非日常的な日常。
普通に笑い、普通に泣き、普通に戦って、普通に死ぬ。
ファインダー越しに捉えたものは、世界の矛盾か、己の深層意識か…

THE 黒帯公式サイトより

 

 

 

 
   

 

2017年12月14日/15日。新宿シアターブラッツにて「TRUCE」BLUE/RED両チーム観劇させていただきました。

結果だけ先に申し上げますと、残念ながら後半の方は舞台が滲んでよくみえなかったです。もったいな。泣きすぎて顔びっしゃびしゃでした~…あぁ~…(倒れ込む)

いやぁ~…わかってたとはいえ、イントロダクションの通りまさに「喜怒哀楽ジェットコースター戦場ドラマ」。感情を揺すぶられ、魂を揺すぶられるような作品でした。完敗。そして乾杯!

というわけで、鉄は熱いうちに叩け!覚書に感想などをダラダラと書き記したいと思います。以下、ネタバレを含みますので、未観劇の方はお気を付けくださいまし。

 

あらすじ

時は、とある架空国家間による戦争の真っ最中。舞台は、国境線にほど近い辺境の地。内地で研究者を務める「少佐」は、前線で活躍する弟の「曹長」に新しく開発された万能ワクチンを届ける、という任務の為に案内役の兵士と、兄弟の感動の対面を撮ってこいと命令を受けた従軍カメラマンと共に作戦拠点を目指していた。

しかしこの「少佐」、なかなかの変わり者で「私はフィールドワークをしにきたのだ」といって調査、虫や植物の観察にと真っ直ぐに拠点に向かわない。

そんな中、珍しい蝶である「アグリアス・ヒューイットソン」を見つける。この蝶は未だ研究・調査の進んでいない幻の花の蜜を吸うため、追っていけばその花へとたどり着けるという。

無我夢中になり追いかける少佐だったが、運悪く敵ゲリラに遭遇してしまい、そのままカメラマンも一緒に敵ゲリラ兵の捕虜となってしまう。

ゲリラ兵たちの拠点につれてこられた二人は、情報を洗いざらい吐け、と脅されるが…。

 

本来、決して関わることのなかった両者。捕虜と敵兵という関係の中のおかしな交流を経て、戦地で彼らが行きつく先は。

 

 

 

総評

とても、綺麗な作品だと思いました。

作品自体は泥臭ささえ感じるほどなのに不思議なほど、澄み渡っている。特に最後のシーンが美しい。冬の朝の恐ろしいほどに澄んだ空気を彷彿とさせるような静寂を見事に演出しています。

同じく、当初は学校公演を視野にいれていたということもあり、大変示唆に富んだ美しさ、道徳性を感じました。もう義務教育段階の必修科目にしよう。全国民はTRUCE必修でいきましょう。まず日本初の女性首相にならなきゃ…(?)

更に作品の構成も鮮やかで美しい。現在のカメラマンの語りに合わせて、交互に物語が展開していき、そして皆から託された爆薬入りアタッシュケースの爆発と、手りゅう弾の爆発が上手く重なり合う瞬間は鳥肌が立ちます。

 

また作品の中でカギとなるワクチンの原料となる研究の進んでいない幻の花に関して。

作品終盤に、この花の名を、もし可能であるならば少佐の、兄の名をつけてくれないかと曹長は頼みます。

少佐の名前は「トゥルース」でした。そして作品の題は同じ音で「TRUCE」。停戦を意味します。

その名前がついた花を、世界中に咲かせる。それが少佐の、そして曹長の願いでもありました。

停戦の花を、世界中に。

この美しさがなんともいえないほど、好きです。

 

更に花を原料に「新型爆弾」と「ワクチン」が精製されていますが、これも戦争科学の功罪、なにを、誰がどう扱うかでガラリと物の本質が変わってしまう事も示されているのではないでしょうか。

 

このように、「TRUCE」は戦場・戦争を題材にしていますが、架空の国家間の戦争を描くことで、その主眼は戦争の凄惨さや悲惨さを如実に語る、というより、その主軸の中で「自分を生き、そして死ぬこと」を、人は皆尊い、ということをありありと感じさせてくれるような作品になっていると思いました。

 

「戦場と写真」この二つの中で、本当に色々な要素を掬い上げている、素晴らしい作品です。

 

これを書いていて、改めてそれを痛感すると共に、幾重にも幾重にも語るべき要素が綺麗に重なり合っているのがなんだかミルフィーユやミルクレープみたいだなとか思ったり…つまりおいしいってことですね!(?)

また舞台美術も初演を踏襲しつつ、奥行きを生かしたつくりになっていることや改めて場転の巧みさ、衣装の良さなど…。軍服ナァ~~~!(ヘラヘラ)

そして最たるは役者さん。RED/BLUEのWキャストの形をとっていますが、本当に全く違った作品に仕上がっていて驚きました…。あまりにも愛おしいというか、どうしたってあの6(7)人を、ひいては11人を好きにならずにはいられない…。11人で作り上げたふたつのTRUCE。どちらも味わい深かったです。

この何重にも重なりグラデーションを描いている層を一つづつめくっていくのはなんというか、難しくもあり美味しさを損ねていってしまうような気もしますが…。

ゆっくりと、このTRUCEという作品について言葉にできたら、と思います。

 

 

 

 

戦場とカメラマン

まずなにより、この「TRUCE」の中で、重要な意味を担う立場にある「カメラマン」、そして「写真」の意味を、深く考えさせられました。

 

「写真がなにを意味するかわかるか?彼らはカメラを見つめ切望する。 "我々を覚えていてほしい”と。」―――――映画「アララトの聖母」より

 

冒頭で引用したこの言葉が、そのままTRUCEの中での「写真」を意味するのではないかと思うのです。

 

「TRUCE」で起きていたことの顛末は、本来ならばだれも知りえないことです。

作中に登場するカメラマンを除く6人は確かに生きていました。生きて生きて生きて、死んだ。けれども、何を思って生きていたのかも、何のために死んでいったのかも、きっと誰にも知られることなく、冷たく無意味なままでした。

カメラマンがいなければ、彼らは積み重なる屍の山に埋もれていってしまっていたのだと思います。

カメラマンがいたからこそ、いや彼らが死を目前としながら、敢えてカメラマンに思いどころか、過去も未来も生きざまも死にざまもその意味も、全部カメラマンに託したからこそ。伝えてくれと。残してくれと。繋げてほしいと。闇に消え去らないようにと。

 

写真というのは、切り取られた刹那の生だと、私は思います。

 

カメラマンの撮った写真の数々は、彼らが生きていたことの残像のようなもので、冷たい死骸の山から彼らを連れ出して、そして永遠の生を与えるような意味を持つものだったのではないでしょうか。

だから余計に、冒頭の場面での隊長の「写真、撮らないか」が、そして後のブッチの「絶対公表しろよ!」が痛切で。

集合写真でカメラを見つめる彼らの目が、ストロボの閃きに切り取られて目に焼き付いたあの姿が、「我々を忘れないでくれ」という叫びにも聞こえて…。しんどい…忘れないヨォ…(か細い声)

 

そして写真に、そしてテープに切り取られた姦しいほどの生が、一転アラームだけが鳴り響くしん、とした静謐にかえっているこのコントラスト。何度も言いますが本当にあの静けさが耐えがたく、見事です。

 

 

恐らく戦場カメラマンは、人々が生きていたことを、起きた事実を、その瞬間を切り取って、忘れさせないように、そういったものを撮ることが仕事なのかもしれないと思いました。

そういう意味での、

「勘違いしそうになりましたね。戦場カメラマンおもしれ―って。」

だったのかなぁと。

この勘違いはきっと、限界まで張りつめた緊張感の中で、戦場を切り取るという行為に伴う快感に対するものなのではないかなと。映画「ハートロッカー」では爆弾処理を担当する男が戦場でのスリルが忘れられなくなり、兵役を終えた後の日常の生活に耐えられずに再度戦地へ志願する男が描かれています。それほど「癖になる。」感覚。でもそれは本来の意味と違えてしまうのかなぁと思いましたね!知らんけど!

と、いう思いで作品を観ると、ファインダーを覗きながら辿ってきた道を思い出そうとするカメラマンだったり、「魂の方が惜しい」の終わり、亡命を決め去っていく少佐の背中を写すカメラマンがとても印象的でした。

 

 

 

 

少佐と曹長、「自分を生きること。」

そして、この作品において非常に高い比重を担うこととなる「少佐」そして、その双子の弟「曹長」。

劇中の登場人物を、この作品を通して誰もが好きになり、だからこそ終わりがあんなにも胸に迫るのは言うまでもないかもしれませんが、少佐はきっとその中でも客席の心を魅了してしまう人間だったのではないかと思います。

それはきっと彼がどこまでも「彼らしく」生きていたから。

この作品の根底には「自分を生きる」ことへの問いかけが少なからずあると私は思っています。「自分を生きる」。それは少佐だけでなく、あの場にいた全員にいえることでもあります。ブッチは幾度となく「俺は俺を全うする」という言葉もありましたし、DJのセリフにも「シンプルに視点は一つ、自分に置けばいい」というセリフもありましたし、隊長は少佐をして「高潔で誇り高く、状況が悪くても自分を見失わない」。

ただ、殊に少佐はそれが顕著だったと思います。

戦争という特殊な状況下。善悪、倫理・道徳の価値観がボヤけて揺らいでいる中で、自身の正しさと社会に求められる正しさの間でもがいてあがいて流されて。それでももう間違わないように 自分自身を見失わないように、自身の灯が絶えないように 生きようとするその姿は逆にね?美しいんだよなぁ…わかる〜〜!!!(魂の叫び)

 

どんな時も「自分を生きる」難しさというのは、大人になればなるにつれて否が応でも、誰もが経験の中で知っていくことことなのではないでしょうか。

 

だからカメラマンと対峙して、命よりも魂の方が惜しいと声を震わせた時、そして真っ直ぐな瞳でカメラマンにこれが私の大義だと、君にも大義があるなら引き金を引くといい、と語りかけた時、その姿に、言葉にどうしても泣きださずにはいられない。好きです…ウッ…。

その「魂」は、犯しがたく穢しがたい…私はそう思う…I think so.

なにより、最期。妻子を人質にとられ、「自分が死ねば、」と自棄をおこした兵士に直前、「私が死ねば、家族は助かるのか。」と尋ね、直後、兵士が自死を図ろうとピンを抜いた手りゅう弾を見るや否や、一寸の躊躇もなくそれを抱えて走り去るこの…。そんなのもうキャプテン・アメリカか少佐くらいなモンですよ…。

そして、息も絶え絶えな中、か細い声で、言葉を残していく少佐の顔のなんて穏やかなことか。苦悶に喘いでも、恨み事の一つも漏らしたっていいのに、最期まで、最期の最期まで、残していく人々に伝えるべき言葉を、自分のなしえなかったことを託して、微笑んでいた。

極めつけはあのアタッシュケース。中に入っていたメッセージカードの、力の抜ける位、状況に不釣り合いな電子音と、「ワクチンがなければ作戦も中止だろう」なんて言葉と共にワクチンの代わりに弟の好きな(あまり弟をよく知らない、と言いながらも好物を覚えているという…)地酒を入れてきてしまうところ。その場面をみて、あぁ、なんて「少佐らしい」んだろうと、そうだ彼はそんな男だったと、たった二時間の中で思わせられる。

少佐なぁ…橋本さん、程嶋さん共に、隊長の「しかし、何故だ…?」の問いに「さぁ…なぜかな」と答える優しい顔~~~~~!!!どんだけ~~~~~!?

 

どんな時も、自分を貫ぬき、人に優しくあった少佐を尊敬せずにはいられないのでした。はぁ~…。

 

兄弟愛・家族愛

そしてやはり欠かすことのできない、語られるべきテーマの一つではないでしょうか。

双子の兄弟でありながら、お互いに対してどこか不干渉で距離を感じていた少佐・曹長。しかし、弟の曹長は最後まで兄を見捨ておくことが出来なかった。頼んで連れて行ってもらったフィールドワーク。兄弟で遊んだ最後の記憶を、克明に覚えていた。というか最後のシーンで贈られた酒瓶を握りしめていたのが無理でしょ!?なにあれ!?だれですか?!演出ですか?!オッケーグーグル

そして兄の少佐は、弟に引け目を感じながらもどこかでいつも弟を思っていた。よく知らない、と嘯きながらも「好きな地酒」を覚えていた。亡命を決めた際も、「バカな兄貴で済まない」と残していく弟への伝言を頼んでいた。

もしかしたらいつだって兄の少佐はどこかへいってしまって、その後を弟の曹長は追いかけていたのかもしれない、だとか…。

表にはださなかっただけで、心の奥底ではお互いを思いあっていた。なにがあっても助け出そうとしていた曹長が、少佐の死の間際の言葉を聞いたとき、挨拶をする隊長に目もくれず少佐の死に顔を確認したとき、顔には出さなかったけど、きっと苦しかっただろうと…。

なにより、曹長が少佐を慕っていたことが、兄の最期の言葉を聞いた直後、ゲリラ兵たちの拠点を訪れるまでに「軍籍を放棄した」ことからもうかがえます。

それは彼にとって、戦う理由が、なくなったから。曹長にとって少佐はきっと戦う理由だったんだと思う。内地で研究者として勤める兄の存在は、きっと曹長にとって誇らしいもので、守りたいものだったのではないでしょうか。

向こうで再会を果たしたなら、また小うるさく喧嘩をしながら、お酒を片手にゆっくりと今までのことを、語りあってるんじゃ…ないかな…。そうであって…。

 

そして。孤児院で育ち、血のつながりはない義兄弟である隊長コルテスと狙撃兵ブッチ。それでも幼少期を共に過ごして、苦楽を共にしてきた、兄弟同然の二人。

だからこそブッチは兄弟を失おうとする二人の気持ちがよくわかって、だから少佐自身の言葉をどうしてもブッチは曹長に伝えたかった…。あ~…ブッチは本当にまっすぐな子だなぁ…。

ブッチついでに、ブッチが200メートルいないに当てられないのは、相手の顔を見ると(無意識に)撃てない とかだともう ブッチ〜!ってなります。(?)

ブッチと隊長、お互いの手を握りしめたまま、息絶えていたふたり。

もしかしたら、三度の飯よりむち打ちが好きなサド野郎指導員(言いたいだけ)に苛烈な扱いを受けた夜、大丈夫だよと慰めるように、兄貴がそばにいると手を繋いで寝てた夜があるのではないかと思わせられました。

爆撃の中、呼吸器が塞がれて苦しくて、きっと不安で、そんな中繋いだ手だと思うと、孤児として育った二人が一人じゃないと再確認したように、死んでいくのも一人ではないと確認するように繋いだ、そんな風に思えてもう…この話はここまでだ…。

向こうでは居酒屋を営んでて…みんなで笑ってて…そう願います…。

 

 

 

終わりに。

10年前の初演では「Welcome To The Black Parade」という楽曲が使われていましたが、この曲があつらえたようにこの「TRUCE」という作品にピタリとハマっていて、1837331回言いますが書いてこの曲を使おうと決めた榎原さんは天才としかいえないです。

それでも世の中は動いていく残った者の人生も,そこで終わるわけじゃないその後も続いていくってことを体は死んで消えていっても思い出だけはそのまま残る 
消えたりしないそしてその思い出を抱いたまま,残った者は生きていくんだこんなこと秘密になんてしておけない
いくら国歌を聞いたってそれじゃわかりっこないんだから

力づくで人を動かすことなんてできないよ
どうやったってこの気持は変わらないなんならやってみればいい 
だけど決して負けたりしない欲張りなんだよ 
こういう人間として生きたいんだ言い訳するつもりもないし,謝るつもりだってない自分を恥じたりしてないから,傷だって隠すつもりもない苦しんでる人を励ますんだ
よく聞いてよ だってそれが本当の自分なんだからただの平凡な人間だし,別にヒーローってわけでもないそこらの若いにいちゃんだけどこの歌を歌うために生まれてきたんだ
よくいる普通の人間で,大したことのないヤツだけどそんなの気にしないよ 関係ない (日本語訳 掲載サイトより)

 

 

 

私は本当にこのTRUCEという作品が好きなんだと思います。(?)

RED、そしてBLUEと素晴らしい役者さんの演じるTRUCEを劇場で観られるのが本当に嬉しくて、とても幸せです。

執筆現在、残り二日、千穐楽まで駆け抜けていく皆さんを見守らせて頂きたいとおもいます。ん~~~次はもっとうまく書きます!とりあえずTRUCEが好きという事でした!はい!

 

最後に。

「We'll carry on.」

旗揚げから10年、THE 黒帯さんのこれまでの"歩み"に、役者としてのみなさんの"歩み"に、そして舞台に立って戦い続ける姿に、感謝と尊敬と愛を込めて。なんてね。 

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。