金魚鉢

舞台演劇の話。

体験する物語の”視点”。/ムケイチョウコク「漂流する万華鏡」

 

※この記事は2023年10月より開幕しているイマーシブシアター「漂流する万華鏡」の作品紹介&体験感の深掘り?記事です。こちらの記事にには上演内容のネタバレとなるような記述はございませんが、周辺などには触れておりますので「何の情報も入れたくない!」といった方は閲覧を控えることをオススメいたします。

 

 公演概要

公演名
ムケイチョウコク『漂流する万華鏡』

構成:今井夢子

ムーブメント:美木マサオ

演出:ムケイチョウコク(美木マサオ/今井夢子/内山智絵)& all cast

場所

古民家カフェ蓮月

〒146-0082 東京都大田区池上2-20-11

 

公演日程

2023年

◆10月公演

 7日(土)*/  8日(日)*   

 *上記のの2公演はトライアル公演

 14日(土) / 15日(日) 

 20日(金) /  21日(土) /  22日(日) 

 27日(金) /  28日(土) /  29日(日)


◆11月公演

 3日(金)   /   4日(土)   /   5日(日)

 10日(金) /  11日(土)  / 12日(日)

 17日(金) /  18日(土) /  19日(日)

 

あらすじ

時は現代。歴史街。

ここは万華鏡作家の所有する古民家カフェ。


芸術家や一風変わった趣味を持つ人々がサロンに集う、2階の座敷。

策略乱れる親族会議が秘密裏に行われる、1階喫茶室。

そして「アトリエ」と呼ばれる、中を覗くことの許されない奥座敷

3つの空間を渡るのは、死か生か美か醜か、それとも孤独か、欲か。


見てはいけないものを覗き込んだとき。

決して再び現れることのない万華鏡の模様のように、

一瞬の心模様が回り始める。

( 公式サイトより引用)

 

 

2023年10月7日。

ムケイチョウコクさんのイマーシブシアター

「漂流する万華鏡」を登場人物チケットで体験してまいりました!

 

この記事は、漂流する万華鏡そのものの感想や記録、というよりかは「イマーシブシアター」の楽しみ方がイマイチわからん!ってモヤモヤなってた私がイマーシブシアターを楽しむ視点を見つけたよ、という大枠の話を勝手に展開する記事になってます。

 

ので、ネタバレはほぼないと思います。

イマーシブシアターの捉え方を完全に齟齬ってたな~、という恥ずかしい振り返り記事です。

 

イマーシブシアターってなんぞ?

確かにわたしも楽しみ方があんまりわかってないかも…

ムケチョの登場人物をはじめてやるんだけど、なんとなく参考になるものが読みたいよ

貴様がなにを考えてるか暇つぶしに読んでやろう

 

こんな方(そんな人がいるのか?)の目に届いたらもしかしたらいいかもなぁ思っております。

 

すべて、※個人の感想です。の注釈がつく点、

悪しからずご了承くださいませ!

 

”イマーシブシアター”という演劇体験。

さて、本題の前に漂流する万華鏡の参加に至った背景を少々。

 

もともと演劇やマーダーミステリーはよく足を運んでいたのですが、イマーシブシアターは漂流する万華鏡を含め2回しか体験したことがなく、最初の体験では正直「これは楽しみ方がわからないな…?」と、体験に対しての持つべき視点が見つからなかった、という感じで終わってしまい、心残りがありました。

 

そんな中で、「漂流する万華鏡」に参加を決めさせていただいたのですが、その理由は2点で、

①仲良くしてくださっているフォロワーさん数人が前作「反転するエンドロール」に参加されて作品を評価されていたこと

②拝見したことのある演者さんが多く、特に市川真也さんのお芝居をもっと見たいな、と感じたこと

でした。

 

特に②の理由が強く、「迷宮の孤島」では内山さんを、「どうぞどうぞ、お先にどうぞ」では佐野さんを、そして「誰が聖女を殺したか」ではAGATAさんと市川さんを拝見していて、どの方も素敵な俳優さんだったので安心感を持ってチケットを予約させていただきました。

 

そんな中で迎えた10月7日。

登場人物チケットで、「漂流する万華鏡」の世界を体験しました。

 

初めての「登場人物」を終えた後でも、やっぱり少しモヤモヤしたような感覚があって、手放しに「面白かった!」と思えない部分があって。

 

それは、物語世界と肌が合わなかったとか、そういう部分ではなくもっと根幹の、やっぱり「私自身の視点の定め方」が間違っているような感覚がずっとあったんですね。

 

で、それがなんなんだろう、と考えに考え3日が経過し、ふと結論に至りました。

 

イマーシブシアターは、観劇体験なんだ!と。

 

これがですね、すごくわかりやすくお伝えできるか非常に自信がないんですが、そのまま説明すると、私の中で「観劇」と「マーダーミステリー(ストーリープレイング)」は全く異なる体験に位置していて、イマーシブシアターをどちらかというと「マーダーミステリー」側の体験だと認識して参加していたことがモヤモヤの原因だった、という感じでした。

 

もっと具体的にいうのであれば、「観劇」は目の前で展開されていく物語を受け止め、咀嚼する受動的な側面の強い体験で、「マーダーミステリー」は自身で物語の行く末に意志を介入させていく、能動的な側面の強い体験だ、という風に捉えていて、「イマーシブシアター」をマーダーミステリー側の視点で楽しもうとしていた、というのが間違いだった、というのに気付いたんです。

 

つまり、「イマーシブシアター」は自身が(役として)物語に存在する、キャストとのコミュニケーションが取れるがゆえに、何かしら「私の意志が物語の行く末にに掬いとられてほしい」という感覚がどこかであった、という…ね…

 

だから、「この物語全体における私たちの意味って、いったい何だったんだろう?」という感覚が過去体験したイマーシブシアターではあったし、今回の漂流する万華鏡でも最初はちょっと似たような感覚があったのが、なんかしっくりきてなかった原因だったのかなと。

 

冷静に考えて「そんなわけなくない?」って感じなんですけど、マーダーミステリーやりすぎると絶対陥ると思うの、この感覚………だれかそうだねっていって………

 

一転、イマーシブシアターが「観劇体験だ」と理解すると、「登場人物」として果たすべき振る舞いが見えてきたような気がしていて。

 

私は常々、「演劇」の最低要件は役者と客だ、という思想を持っていて(詳しくはコチラの記事をご覧ください。青臭くて自分ではもう読めません)、お笑いライブに通っていた経験からも、客席の反応が壇上に掬いあげられて、相乗効果的に舞台を作り上げているよね、役者の芝居を乗せていくのは客席の責任もあるよね、という過激思想を持っており。

 

だからこそ、ムケイチョウコクの「イマーシブシアター」で、登場人物の皆さんが果たすべき役割って、この「演劇における観客」の要素を色濃く抽出したものになるんじゃないか、と思い至ったわけですね。

 

つまり、この「漂流する万華鏡」という物語世界において、キャストの演じる役が向かってゆく不変の結末があって。その結末へ、役が、そしてキャストの方がしっかり向かっていけるように、「登場人物」は客席よりも近い場所でその歩みに寄り添い、時に導くような気持ちで、役を受け止め、そしてまた役に手渡していく、というような。

 

その道程で、きっとただ外側から見るだけではない「私」に向けられた感情や、それに対して覚える気持ち、その感情に向き合うことがムケイチョウコク特有の「登場人物としての演劇体験」なのではないかなと、今は理解しています。

 

一方で、ムケイチョウコクの「傍観者(黒子)」に関しても世界を構築する1つのピースになっている側面があるので、やはりこれも機能として「シームレス」な演劇体験になっているんだなぁと。

 

固定席から、物語を1つの視点から線で体験する「演劇」。

ボーダレスに、物語をいろんな視点から点で体験できる「イマーシブシアター」。

 

どちらでも、物語を体験するという事実自体は変わりませんし、固定席での「演劇」も自身の想像力でどこまでも「没入」していけるけれど、機能的によりその手助けをしているのが「イマーシブシアター」(というかムケイチョウコクさん)なんだな~と勝手に腑落ちしております。

 

うーん、おくぶかい。

 

なので、登場人物を体験し終えた時に、「自分のストーリーラインも全部わかってないな!?もっと知りたいな?!他のストーリーラインはもはやなにもわからんな!?知りたすぎる!」という感覚が強く残っていたのですが、これは「登場人物」が深く関わる役に寄り添い、向き合い、行く末を見守ることが大きな役割だと考えると「知る必要がない」んだな、と考えることができました。

 

なので、物語全体の構造をしっかり把握したい!という方は登場人物も体験した上で黒子として世界に入り込む必要がありそうだなぁと。うーん、沼。

 

もっと知りたいし、もっと理解したい。

 

そういう気持ちがふつふつと湧き上がる体験だったと、3日経った今やっと振り返ることができています。

 

さて、そんな気持ちも整理できて晴れやかになった今、次に登場人物を体験させていただいた時にどんな景色が見えるかすごく楽しみです。

 

次はどんな人生になるかなぁ。

だれであっても、関わりの深い「役」に寄り添って生きれたらいいな、と思います。